<彼の名は天使につき>



 昔から人の背に羽が見えた。
 小さい頃はそれでよく叱られたような気がするけれど、成長と共に覚えた常識という名の殻は僕らの可能性を塞いでゆき、やがて僕は人間に羽が生えていないことを知って口を噤んだ。
 子供の羽は真っ白で、成長するにつれて徐々に色づいていくことも。大人の羽の色は様々でとても綺麗なことも、僕の羽の色も少しずつ変わっていることも。

 死んだ人の背には、羽が無いということも。



(でも、僕の目に映る羽は消えて無くなったりしないのに)



 さっきから僕は手を出しては引っ込め、なのにこの場から動けずにいる。今まで見たこともない真っ白な羽をした大人が眠っている。大人の羽が白かったことなんて、今まで一度もなかった。それは子供だけが持つ特権みたいなものだと思っていたのに。羽だけじゃなくて肌は透き通るような白磁、髪は日に透けるブロンド、おまけに目を閉じていても分かる美形が、眠っている。

「・・・モデルみたいだ」
「お前、俺が見えんの?」

 突然美形が口を聞いたから驚いて後ずさってしまった。さらさらのブロンドの奥から覗いた瞳はこれまた綺麗な綺麗なアイスブルーで、出来すぎた容姿にぽかんと口を開けて見とれてしまった。

「おい少年」
「み、見えます!羽が綺麗だから、勝手に見ちゃってごめんなさい」
「羽?お前、コイツまで見えてんのか」
「う、うん。白い羽の大人の人って見たこと無いから、それで」
「・・・そうか。お前、見えるんだな」

 声を聞いて初めて男だと分かる。けれど彼は何故か困ったように黙ってしまった。

「あの・・・何か僕、悪いことしましたか?」
「ん?あぁ、そうじゃないんだ。俺が見えるっつー人間は珍しいからよ、対応に困ってるだけだ」

 それはつまり、僕が“見える人”なのがまずかったということじゃないのか。

「あ、あの」
「何だ?」
「お兄さん、天使?」

 この世の人とは思えないほど綺麗で、真っ白い羽を持っている。しかも普通の人には見えないと言う。
 彼は一瞬きょとんとした顔になって、すぐに笑った。

「・・・違うぜ」
「天使じゃないの?」
「天使かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「え?どういうこと?」
「お前がそうだと思えば、そうなるってことさ」

 頭の中で整理している間にごちゃごちゃしてくる。つまり僕が彼を天使だと思えば、彼は天使になる?

「えっと、じゃあ、天使さん」
「はいよ、少年」
「ここで何してたんですか?」
「昼寝。やっぱ屋上っつーのは絶好スポットだからな」
「天使も昼寝するの?」
「そ、天使も昼寝するの」

 ふわっと笑うと、人形みたいな冷たさが無くなって人間らしい表情になった。人間じゃない天使さんに、変な例えだけれど。

「もう一つ質問してもいいですか?」
「んん、何だね少年」
「人間には羽が生えていないのに、どうして僕には羽が見えるんですか?」
「・・・・・・」

 天使さんは黙ってしまった。答えを探しているのか、答えるつもりが無いのか、答えられないことなのか。僕が小さい頃からずっと抱え続けてきた疑問を、彼なら解いてくれるかもしれないのに。

「・・・やっぱり、僕は変なのかな」
「変じゃねぇよ」

 今度は即答で、僕はびっくりして天使さんを見た。

「お前は変じゃない。ちょっと不便かもしれねぇけど、誰に迷惑かけてるわけじゃないだろ?」
「そうだけど・・・」
「だったら、得したと思っとけや」

 天使らしくない言葉に、僕はまたびっくりした。得だなんて考えたこともなかった。他人には見えないものが見える、それはもしかしたら凄いことかもしれないと、僕は初めて思った。

「・・・やっぱり、天使さんって優しいや」

 天使さんは何故だかちょっと悲しそうな目をして、僕の髪をくしゃくしゃっと撫でてくれた。普通の人には見えなくても、僕にはこうして触れ合うことが出来るんだ。それも“得したこと”の一つのように思えて嬉しくなった。

 きっと僕は明日から、今日までと違う景色の中で生きるんだろうなと思ったんだ。



『・・・接触したのか』
「不可抗力だよ、向こうから近付いてきた」
『・・・・・・』
「しっかし、ありゃまだ十にもなってねぇガキじゃねーか。残酷だねぇ」
『そういう規則だ、お前も分かっているだろう』
「百年に一人生まれるか生まれないかの確率だってのによ」
『だからこそ、影響力も大きい。いいか、秩序が乱れる前に』
「分かってます、ちゃんとやります。俺、天使だからさ、真面目だよ」
『・・・寝言を言っているのか?俺達は死神だ』
「んん、そうね。でも“見える人間”からすりゃぁ同じみたい」
『とにかく、だ。あと十日だから頼んだぞ、人間界に観光しに行ってるんじゃないんだからな』
「あぁ・・・分かってるよ」

 柔らかな髪を撫でたのと同じ手で、十日後、彼の羽を引き千切る。

 天使と呼んだ彼の羽を。淡く色が変わり始めたばかりの幼い羽を。世界の秩序とバランスを保つ、そのためだけに。
 少しばかり他人と違う能力を持って生まれてしまった、ただそれだけだというのに。
 それに不満も躊躇いも無いけれど、少しばかりの哀れさは禁じえない。



(あの目に映る羽が消えて無くなってしまえばいい)



<俺の名は死神につき>






メルマガVol.153掲載(2006年11月30日発行)
これを書いたとき何を考えていたのかさっぱり思い出せない。


// written by K_