桜色



 まるで透明な檻に入ったかのように、僕はそこから動けない。
 まるで熱の塊を呑んだように、僕の口は声を発しない。
 それは決して僕が臆病だからでも僕が弱いからでもなく、囚われて動けない僕はそこから這い出す事をしたくない。

 つまり僕は自分の意思でここに居るわけで。


 アイスコーヒーのグラスがテーブルに水溜りを作っている。氷は溶けてくっきりと境界線を描き、今更飲むこともかき混ぜることも出来なくなってしまった。

 つまらなそうに指を遊ばせる君の、桜色に彩られた爪先を僕は見つめる。止まってしまった会話の糸口を見つけるように。綻ぶ糸を少しずつ解いてゆくように。
 細く吐かれた溜息を、吸い込んだ次には笑い声に出来るように。

 きらきらと硝子の欠片を散らしたような指先の輝きを、僕は眩しく目を細めて見るしかできない。触れたら切れてしまいそうに鋭く、また毀れてしまいそうに脆い君を。


 胸の底の熱の塊は何度吐き出しても冷えることはなく、僕はどうか君に気取られませんようにと願う。じくじくと倦む熱の決して不快ではない感覚を抱き、涼やかな君の空気と混ざり合うことをも願わずにいられない僕は。

 桜色の爪の仄かな色合いを目に映しながら、ぬるいコーヒーを吸い上げた。


「・・・あの」


 そして僕は今日も懸命に、僕は懸命に恋をするのだ。






メルマガVol.160掲載(2007年4月12日発行)
春だったので恋の話を。


//written by K_