夏が来る



「お待たせ」

大して待たせてもいないけれど一応の社交辞令としてそう言うと、
既にほとんどのメンバーが揃っていた待ち合わせ場所で佐伯がおせーよと笑った。
今日は夏祭りだ。
期末試験も無事終わり(答案返却と通知表の事は、ひとまず忘れておく)
少し羽目を外そうと最初に言い出したのは誰だったか
何故か浴衣着用が義務づけられた初夏の夜、まだ薄明るい境内は徐々に混雑してくる。

着慣れない浴衣の帯が腰骨に当たって、もぞもぞと落ち着かない。
けれど石畳を蹴るカラコロという下駄の音はいいなと思う。
焼きそばとかわたあめとか、色んな匂いが漂ってきゅう、と腹が鳴った。
来る途中、商店街で押し付けられた電気屋のうちわをぱたぱた扇ぐ。
まだ誰か来るの?と口にしたら、あと女子二人と言われて
男女四人ずつって結構な大所帯だな、ちょっと面倒かもなんて思った。

「あ、来た来た。おーい!」

紺色の浴衣を着た二人組が歩いてくるのが見えた。
佐伯がぶんぶんと手を振ると、手前を歩いている子も小さく手を振り返す。
そういうことかよ、と内心の呆れは表には出さず、
にやにやとやに下がった友人の横顔を盗み見る。
万が一にもうまくいったら、ジュースの一本でも奢らせてやらなければなるまい。

二人はゆっくり歩いてくる。女の子は浴衣じゃ走れないから大変だなと思っていると
後ろを歩く子の顔がはっきりと見えて心臓がどくんと跳ねた。
制服を着ているところしか見たことがなかったから気付かなかった。
あれだけ毎日見ていたのに、ただ浴衣を着て髪型を変えてるだけで好きな子と分からないなんて
女の子は凄いなと感心すると同時に、今日これから彼女と祭りを楽しめると思うと
途端に面倒臭さが吹っ飛んでしまうのだから男ってのは単純なもんだ。

こんばんは、遅くなってごめんね、と神原さんは笑う。
まだ時間前だから大丈夫だよ、と俺が口を挟む前に、佐伯が見たこともない顔で微笑んだ。
佐伯の好きな子はそれを見てちょっと嬉しそうにうちわで顔を隠す。
うわ、これって脈ありなんじゃね?悔しいけど。

「じゃぁ、適当に分かれて遊ぶか」
「さんせーい」
「一時間後にまたここでってことで」

ひらひら、手を振りつつ皆がばらけていく。
俺はというと、適当に誰かと一緒に行けば良かったのだけれど
神原さんの紺色の浴衣に舞う蝶を数えていて機会を逸した。
というか、皆がちょうどいい具合に二人組になっていたからどこにも割り込めなかったとも言う。
ひょっとして今日の夏祭りは、皆で遊ぶとは名目だけであって
それぞれのカップルが楽しむ為に集められたんじゃないかとか。
確認する術はないし、それならそれで俺に不都合はないのだけれど。

「皆行っちゃったね」

なんで残ってるんですか、神原さん。

俺はその言葉を飲み込む。自然の流れで俺たち二人が一緒になるのは目に見えていた。
これが佐伯の仕組んだ事なら(彼は、俺が彼女を好きだと知っている。それはもうずっと以前から)
感謝すればいいのか恨めばいいのか。とりあえず一気に緊張が襲ってきたのは事実だ。

神原さんは紺の浴衣に赤い帯をしていて、同じく赤い鼻緒の下駄を履いていた。
いつもおろしている艶やかな黒い髪は今は後ろにきゅっとまとめてあった。
眉くらいで切り揃えられてる前髪も、赤い蝶のピンで留めてあって、広い額が露になっている。

「・・・くんって」

あまり見慣れない姿にぼーっとしていたら、彼女が俺の名前を呼んだのに一瞬気付かなかった。
え、何、と。見惚れてた事に気付かれたかとドキドキしたら、

「浴衣、似合うね」

と彼女が続けたものだから、俺の心臓は壊れるんじゃないかってくらい高鳴る。
父親のお下がりの灰色の絣は地味で微妙だなと思ってたけど
神原さんが似合うと言ってくれるなら何回だって着てもいい。

「あ・・・わ、私。浴衣着るのって初めてなんだけど」
「そう、なんだ」
「変じゃない、かな?ちゃんと着れてるかな」

くるり、と石畳の上で神原さんが回ると、髪についてる簪がシャン、と揺れた。

「変じゃ、ないよ。うん」

日が落ちるというのに火照る肌をうちわで冷やしながら、ちょっと俯いた彼女の露になったうなじを見た。

「神原さんも、似合ってるよ。・・・浴衣」

シャン、と簪を鳴らして神原さんが顔を上げた。
白いうなじが、さっと朱に染まる。
何か言いたげにした彼女の口が開くより早くドーンという大きな音がした。

焼きそばとかわたあめとか、色んな匂いが漂う中、腹が減ったのも忘れて二人で空を見上げた。
真っ赤な大輪を見て神原さんが綺麗だねと言ったけれど、
俺は花火なんか一瞬しか見てなくて、きらきらと輝く横顔をじっと見てた。
佐伯、ありがとう。ひょっとしたら脈ありかもしんない。

色を変え模様を変え、何度も花火は打ちあがる。
そのたびにくるくると表情を変える神原さんを俺は飽きずに眺めた。
次の花火が上がったら、好き、って、言ってみようか。
きっとだけど、多分だけど、浴衣の裾を揺らして笑ってくれそうな気がした。

夏が来る。
熱くて長い、夏が来る。






メルマガVol.184掲載(2008年7月15日発行)
夏らしく爽やかにしてみました。


// written by K_