腕輪 (寝坊した!) 枕元の時計を思わず二度見して、携帯電話の液晶を見て狂ってないことを確認すると慌ててベッドから飛び起きた。カーテンの向こうは既に燦々と明るい太陽が輝いている。まずい、と思っている余裕さえなく、適当な服を引っ掴む。 顔を洗って鏡を見たところで、見苦しくない程度に整えるのが関の山だ。普段だってシャワーを浴びてワックスをつける程度なのだから大差ない。一応、髭だけは念入りにあたっておく。キスをした時に当たって痛いと文句を言われるのはごめんだ。 遅刻なんてしようものなら(たとえ連絡を入れていようが)機嫌を回復させるのに骨が折れる。寝坊した方が悪いといわれれば言い訳は出来ないのだけれど、たまの休日にうっかり寝過ごしたって仕方ないじゃないかと心の中でだけ呟いておく。問題はそれが、大切な恋人とのデートの日であったということで。 鏡の中の自分をざっとチェックしたところで携帯電話を取りに寝室へ。戻ったところで、机の上のそれに目が留まった。 (・・・・・・) もう家を出なければ間に合わないのに、一度目についてしまうと気になるのが人間の性というもの。 (・・・どーすっか) シンプルなデザインのバングルは鈍く輝きながら、さぁ早く付けてくれと言わんばかりにその存在を強く主張する。こういったハンドメイドのアクセサリーは作り手の性格が作品に表れるとはよく言うが、まるで贈り主の性格が乗り移ったようだと思ったら呆れとも付かない溜息が漏れて、結局、苦笑を浮かべながらも手に取ってしまう。 (こういうの、あんまり得意じゃねーんだけどな) くすんだ銀の裏面には、口に出すのも恥ずかしいような英文が綴られている。彼がどんな顔をしながらこれを彫ったのかと想像すると自然と頬は緩み。誰も見ていないのに慌てて表情を繕いながら、仕事場には付けていけないなと嘆息した。 (・・・って、時間やばいんだって!) 外れないようにもう一度ぐっと強くはめたら、今度こそ家を飛び出した。 ******** 「遅い」 待ち合わせ時刻三分前、間に合ったというのに彼は不満顔だ。 「・・・まだ時間前だろ」 「俺は十分前に着いたんだ」 待たされた事実がお気に召さないらしい。寝坊したという負い目があるからこちらとしても強くは言えない。・・・つくづく、惚れた弱味というのは面倒だ。 「あ、寝癖ついてる」 座っていたベンチから器用に伸び上がった彼の指が後頭部を悪戯に弄る。時間が無くて後ろまで目が届かなかった。 「あー分かった。寝坊したんだろ?」 「・・・ご明察だよ」 「うっそ信じらんねぇ。俺と会いたくないわけ?」 「そんなこと言ってないだろ」 眉間の皺が徐々に下降線を辿る彼の機嫌を如実に表している。せっかく久しぶりにのんびりできるというのに、こんなことで喧嘩したくない。 不意に、彼の視線が左手首を捉えた。 「・・・付けてんじゃん、それ」 「あ?あぁ・・・まぁな」 「なんだよ、こんな恥ずかしいもん付けれるかとか言ってたくせに」 「今日だけだ。会社にはしていけないぞ」 「ええー」 「ええー、じゃねぇよ」 並んで歩き出す日曜の雑踏。銀職人の荒れた指先がバングルに触れ、小さな音を立てて弾く。 「こんなに似合ってんのに」 拗ねたような声音に棘はない。どうやら機嫌は急上昇してくれたようだ。 絡みつく指先をさりげなく遊ばせて澄んだ金属音が響いたのに気付く。見れば、彼の右手には似たようなデザインのものが付けられていて。 「・・・お前、よくそういう恥ずかしいこと出来るな」 「いいじゃん。誰もペアなんて気付かないって」 「当たり前だ」 「だったら普段から付けてよー」 「お断りだね、それとこれとは別」 「ケチ!」 悪びれもせず言ってのける彼の素直さを可愛いと思ってしまうのだからどうしようもない。そういえば、好きな相手に装飾品を贈るのは独占欲の現われだと聞いたことがある。お互い様なんだけどなと心の中でぼやいた。 「・・・会社は無理だけど、お前と会うときはしてやるよ。それでいいだろ」 「何か、棘のある言い方じゃねぇ?」 「そんなんじゃねぇよ」 くっと笑いが零れて。 「お前がくれたモン、他の奴らに見せんの勿体ない」 触れ合っていた指が止まった。ついでに歩みも止まってしまって、ゆっくりと振り返る。 「・・・今の、きた」 「だろ?」 「うわーやばい。今すぐちゅーしてえ、つかヤリてえ」 「・・・お前なぁ」 正直すぎる言葉に苦笑が漏れる。 再び並んで歩き出しながら、寝坊してもちゃんと髭を当たっておいて良かったとこっそり溜息をついた。 2008年5月4日執筆(同6月11日掲載) 樹月さまへ捧げ(押し付け)ました。とあるイラストを拝見し、居ても立ってもいられずに勢いで。・・・男女カプとBLどっちがいいー?って聞いたらBLと言われたのでBLです。 書く切欠となった素敵イラストはこちら。 →「ファッションに関する100のお題」より、58.腕輪。 // written by K_ |