八番目の少年



割れた壁の上に立つと地平線が見えた。
地面と空を明確に割るそれの他に何が見えるのだろうと目を凝らしたが、
視界には飽きた景色が広がるだけですぐに視線を地面に落とした。

ここもまた、果てではなかった。

エイトは軽くなった銃を背負い直す。
全弾使い切ったが、結局得たのはいつもと変わらない。
今撃たれたら丸腰の自分は抵抗する術を持たないと思う。
ポケットにナイフはあるが人を刺したことなどないし、
出来たとしても、一発で相手を仕留めるのは更に不可能に思えたからだ。

舞い上がる土は埃っぽく血を含んでも乾いていた。
この辺りは砂漠地帯で、近くの水脈からの僅かな源で生き延びてきたのだという。
運が良ければこの先も数百年に亘って、そのような生活を続けたのだろう。
だが見渡す限りに人影は見当たらなかった。
無造作に積み上げられた死体の中に生きている人間がいたとしても、
もうここで生活を続けることは出来ない。

目に見えない細かい砂塵が吹き付ける。
ゴーグルをしていたが反射的に目を眇めて顔をかばう。
酷く熱い風に乗って、腐りかけた肉の臭いが漂った。
エイトは口布を押さえ直し、振り向いて瓦礫と化した街を見た。



あの時も今も、略奪の限りを尽くされた街並みは変わらない。
自分が奪われる側であったか、奪う側になったかだけの違いだ。
そんな違いさえ今は瑣末なことだった。

初めは、生まれ落ちた世界を呪った。
次にこの世界の状況が分かるにつれ、エイトは戦争を憎んだ。
誰も悪くないんだ、と、年老いた男はしわがれた声でエイトに語った。
皆それぞれの正義の為に戦っているだけなんだから、どちらも悪くないのだと。
ならこんな世界を作り出した誰を憎めばいいんだ、と、まだ幼かったエイトは彼に問うた。

老人は言った。
戦争を憎んでも、人を憎んではならない。
憎しみからは何も生まれない、得られない。
許せる人間になりなさい、と。

二日後に老人は死んだ。
その時エイトたちがいたのは非武装地帯だった。
軍の誤爆だった。
優しい口で語った老人の頭と胴と四肢はばらばらに吹き飛び、エイトはようやく見つけた左腕に縋って泣いた。

エイトは民間の軍事組織に入ることを選んだ。
身よりもなく、戸籍も持たない、エイトのような戦争孤児が生き延びる道など幾つも残されていなかった。
そんなに年の変わらない少女に銃の扱いを教わり、すぐに筋がいいと褒められて実戦に出た。

人を撃つことにも、街を焼くことにも、抵抗はなかった。
老人の言葉を忘れたのではない。
だがエイトには、許しというものが何であるのかが分からない。
だから知りたかった。
自分が憎むこの世界の果てを見つければ、それが分かるような気がしていた。



「エイト」

背後から呼びかけられてエイトは我に返る。
入隊した時から、年が近いという理由で行動を共にすることの多いエレナが立っていた。

「もうすぐ出発だ、戻るぞ」

防砂コートに身を包んだエレナは少年のような粗暴な物言いでそう言い、エイトを促す。
崩れかけた壁の上で街だった荒野を見ていたエイトは、
相変わらずそこだけ筆で描いたようにはっきりと見える地平線を視界の隅に留め、ブーツを鳴らして飛び降りた。

「また・・・地平線を見ていたのか?」
「あぁ」
「見つかったのか?前に何か、探し物をしていると言っていたが」
「いや、まだだ。今回も外れだった」
「・・・そうか」

エレナは俯く。
倣って乾いた土を見つめ、それを蹴って歩きながら、小さく呟いた。

「・・・この世の果てなんて、ないのかもしれない」

隣を歩く少女は聞こえない振りをして歩き続ける。
聞き咎められなかったことに感謝しながらエイトは何度も白い土を踏む。
今は戦争なのだ、そういう時代に生まれてしまった。
自分が生きるためには奪い続けなければならない。

もうすぐ老人が死んで八年になる。
自分が生まれた日も親が死んだ日も知らないが、彼が死んだ日だけは何故か克明に覚えている。
八回目を迎えようとしても、まだエイトは世界の果てを知らない。
あと何十回、あの言葉を反芻すればそれを知ることが出来るのか、
空になった銃を背負って地平線を眺めるたび、エイトは絶望的な気分になって世界の全てを憎みたくなるのだった。






メルマガVol.181掲載(2008年6月15日発行)
珍しくファンタジーテイスト(?)でした。


// written by K_