Dolls



 ミカは疲れていた。毎晩行われるショウで愛想笑いを振り撒くことにも、この仕事自体にも。ステージの上は華やかで、その裏に潜む影の片鱗すら見せることは許されない。それはプロとして、ダンサーとして当たり前のことだ。
 だが、今日のミカはどうしても、色濃く浮き出た疲労の色を完璧に消すことが出来なかった。自慢の栗色の髪を結いながら、ミカは仲間達に気付かれないようにそっと、溜息をついた。

 長い、長い通路。その両脇に設けられた客席と、多数のスポットライト。そして、通路に不規則に並んでいる、人形達。

 服飾業界ではマネキンと呼ばれるそれ、中にはトルソーと呼ばれるものもあったが、ミカ達にとって人形は人形でしかなかった。一見して性別、年齢、人種もバラバラなそれらを使って踊るのが仕事なのだから。人形は仕事に必要な道具でしかない。それ以上でもそれ以下でもなく、人の形をしていると認識したことさえないように思う。今日も、並ぶ人形達に絡み付きながら仕事を終える。楽屋に戻るとマネージャーと自称する男に呼ばれた。メイクを落として衣装を脱ぐ楽屋のストリッパー達を見下す濁った眼、自分とてその収入で生きているのだから変わりはないのに、とミカは思う。

 ギリギリまで露出した衣装のまま、メイクを半分落としたという中途半端な格好で、ミカはチーフマネージャーが居る部屋へ通された。

―お疲れのところ悪いね、ミカちゃんだったかな、今日も大盛況だったよ、素晴らしいダンスだった、
―君はお客さんの中でも好評でね、特にその栗色の髪が一層良いらしいんだ。

 肝心の用事とやらとはまるで関係なさそうなことをつらつらと述べる男にミカの苛々が増す。名前も知らなかったくせに客に好評とはよく言えるものだ。

―出来れば手短にお願いしたいのですが。

 ミカがそう言うと、チーフとやらは目に見えて鼻白んだ。

―なるほど君も疲れていることだろう、では用件を言うがね。

 こほん、とわざとらしい咳払いを一つ。
 早く帰りたい、ミカは心の中で愚痴た。こういう苛々する日は帰りにビールでも呷って眠ってしまおう、それに限るんだ。ミカの様子を見て取ったのか、チーフとやらが脂ぎった口を開く。

―君にね、昇進してもらいたい。

 ミカは一瞬何を言われたのか理解できず、不覚にも傍らの自称マネージャーを顧みてしまった。そんな様子にチーフと呼ばれる男は更に笑う。くつくつと喉の奥で、爬虫類のような声だった。

―いきなり言われて驚いているだろう、だが僕としては真面目に言っているんだよ、
―君に昇進してもらいたい、君にとってももちろん悪い話じゃないと思うんだが。

 唖然としたままその言葉を聞く。ストリッパーに昇進も放逐も何もあったもんじゃないはず。自分達は店に雇われて踊り、服を脱ぎ、人形と絡む、それが仕事。それだけのはずだ。

―今ここで決めたまえ、あぁもちろん悪い待遇じゃぁない、
―給料だって上がるし、君にはソロで踊ってもらうことになると思う、
―今までのダンスとは違うよ、え?何がって、そりゃぁ決まってるじゃないか、
―ストリッパーを卒業するんだ。

 愚鈍そうなのは見かけだけで口はよく回るらしい。くるくると狡猾めいた眼球を蠢かしながら、ミカを値踏みするように返事を待っている。

―ストリッパーを卒業するんだ―

 その言葉がミカの心を揺り動かした。自分だってもう若くない、いつまで踊っていられるか分からない。ミカは俯いていた顔を上げ、初めて目の前の男を正面から見た。

―そのお話、受けさせていただきます。

 にやりと口角が持ち上がり、その気色悪さに悪寒が走る。昇進、昇進と言い聞かせて吐き気に耐えた。

―分かってもらえて嬉しいよ、僕は素直な子が好きなんだ。

 本人は笑顔を浮かべているつもりだろうが、蛙のような容貌にそれは滑稽なほど似合わない。巨体を揺すって立ち上がった蛙男はその笑顔らしきものを浮かべたままミカを促した。

―少し、それについて詳しく話がしたいんだ、来てもらえるかい。
―あの、せめて、着替えさせてくれませんか。
―あぁ気付かなくてすまなかった、待っててあげるから行っておいで、
―他の子には内緒だからね、言わないでね。

 楽屋に戻ったミカは、店に出たときとは打って変わって上機嫌だった。この忌々しい仕事から解放されるのだ!放っておけば鼻歌でも歌いそうな様子のミカに、仲間達も何かと言ってくる。それを適当にあしらって手早く準備をすると楽屋の扉を開けた。

―お疲れ様、また明日、今日も大盛況だったね。

 仲間達の声に手を振って、笑顔で楽屋を後にする。チーフマネージャーの部屋に戻ると、さぁ行こうかと微笑まれた。生理的な嫌悪感をやり過ごして付いていく。蛙男は、ミカの前を歩きながら、爬虫類めいた瞳を細めた。

 それ以来、ミカの姿を見た者は居ない。ただ、通路には真新しいマネキンが一つ増えた。栗色に波打つ、美しい髪を自慢げに輝かせながら。



 人形は話さない。
 人形は人形でしかない。
 人の形を模った塊。






メルマガVol.96掲載(2004年7月発行)
ホラー風味・・・ホラー・・・?


// written by K_