ごぅ。

 それは小さな風の音。いつもなら、気に留めることもしないだろう。僅かに顔を上げて、視界に入った窓の外。ベランダでは、朝顔が揺れていた。



朝顔



「それじゃ、ね」
「おう、またな」

 別れたあとの、かすかに訪れてしまう虚無感が嫌いだ。それはきっと無視することは可能なんだろうけれど、どうしても気になってしまう。胸に刺さった小さな棘のように。

「あーぁ」

 けれど、もう少し一緒に居て欲しいとは言えない。どれだけ延長料金を払ったとしても、訪れてしまう別れは避けられないからだ。但し、当然のことをほんの少しくらい覆してみたいと思ってしまうではないか。

 ベランダで揺れる朝顔の、ツルが擦れる音でさえも煩くてしょうがない。

「水・・やったっけか」

 独り言が悲しい。ジョウロに語りかける自分にうんざりしつつ、水道を捻る。ばしゃばしゃと飛び散る飛沫。サンダルをひっかけただけの素足を濡らした。

 今年植えたばかりのこの朝顔は元気がいい。支柱の方が音を上げるんじゃないかというほどの育ちっぷり。複雑に絡むツタは支柱を網羅し、物干し竿まで食い潰している。細く、細い先端は、空に溶ける。

「これってちょっと切った方がいくねーか?」

 また、もれた独語。ため息を吐く寸前で飲み込む。誇らしげに伸び盛る朝顔を、少し羨ましく感じた。

 溢れるくらいの水をくれてやり、伸び放題のツルに触れる。朝顔のツルは、はっきりとは見えないが細かい毛にびっしりと覆われていた。逆らうように思い切り擦ると指先に無数のそれが突き刺さる。

 ごう。
 風が吹いた。ツルが、葉が、絡んで擦れて音を立てる。
 たったそれだけの音がどうしようもなく耳に、煩い。

 畜生。

 朝顔が煩いからだ、アイツの顔が見たいと。アイツに触ってほしいと煩いからだ。

 方々に、奔放に伸び盛るツルは何かに似ている。青い空に溶け込んでしまいそうな切っ先が眩しすぎて目を眇めるほど。それは何かに似ている。

 あぁ、なんて我侭なんだ。自分も、朝顔も、アイツだって同じように。

 朝顔のせいだと何度も言い聞かせながら携帯電話を手に取った。呼び出されるコール音、今すぐ会いたいと言ったらアイツはどう反応するのだろう。朝顔が、お前に会いたがっていると言ったのなら。

 ごぅ。
 小さな小さな風の音。いつもなら、気に留めることもしないのに。僅かに顔を上げて、視界に入った窓の外。ベランダでは、朝顔が揺れている。

 伸び放題のツルの軌跡を指先でなぞり、やがて途切れたコール音に笑みが零れた。



『もしもし?』






メルマガVol.104掲載(2004年9月発行)
ツルが擦れる音って何なんだ。


// written by K_