或る世界の終わり



諦めることは、口で言うより難いことだと知っている。
思う力が強ければ強いほど。
いっそ捨て去ることが出来ればどんなにかと、思ったのは一度や二度ではない。

「・・・え?」

彼女は大きな目を見開き、ノートへ走らせていたシャープペンシルの先を撫でた。
そうして、おそらく無意識であっただろうその行為に気付いたように動きを止め、
淡い水色のそれをテーブルの上へ静かに置いて、
開きっぱなしのノートの中心を今度こそ意味もなく指先で撫ぜた。

間が、持たないのだろうなと思う。

言うつもりがなかったというよりも言ってはいけないのだと思っていた。
この気持ちを伝えたところでそれは彼女を困らせる以外に他ならないと知っていた。
思いが強ければ強いほど。
いっそ言わずに閉じこめることも出来たはずなのに、堪えきれず零してしまったのは僕の弱さに違いない。

溜息が出た。
それを彼女は何と勘違いしたのか、悲しそうな目をして窓の外を見る。

唐突に会話が途切れた部屋に鳥の声が隙間を埋めるように絶え間なく響く。
さっきまで何てことない日常だった空間が一変して、
けれど非日常と言い切るには差し込む木漏れ日が穏やかすぎて僕は言葉に迷う。

言わなければ良かった。
もう何度目になるか分からない後悔の念が胸を蝕んでいった。

「すみません、困らせたいわけじゃないんです」
「・・・困ってなんて」
「いや、違うな。・・・困らせるって分かってて言ったんです、ごめんなさい」

ただ伝えたかっただけだから、なんて言うのはエゴだ。
気持ちを伝えた時点で相手の心に何らかの波紋を起こすのは分かっていた。

時計の針が刻む。
音がやけに大きく耳をついて、いっそ止まればいいのにと思うけれど
止まっても何も変わらないということも知っている。

「・・・もう行かないと」

彼女が呟くように、言い聞かせるように言った。

「送らせて下さい」
「・・・・・・」
「車・・・出してきます」

彼女は逡巡した。
小さなノートを弄る手を止め、腕時計を見、やがて浅く息を吸う。

言葉を待つ僕の目の前で水色のシャープペンシルを再び手に取り、ノートへと走らせた。

「行きましょう」

ほんの一瞬だけ触れ合った指先の感触が鮮明に僕の胸を激しく打たせた。
手渡された小さな紙切れの中身は見ないままスーツのポケットへ入れる。
彼女は何も言わずに僕を見ていた。

さよならを告げればいいのか、また会いましょうと言えばいいのか分からない。
僕は彼女を助手席へ乗せる。
ここは世界の始まりなのか終わりなのか。
ギアを入れる左手に彼女の指が今度は明確な意思を持って触れた。

僕は未来の可能性を思って強くアクセルを踏みこむ。






メルマガVol.178掲載(2008年5月14日発行)
ちょっと分かりづらい・・・終わり、そして始まる。


// written by K_