雨の音が聞こえる



さあさあと繊細な音がする。細く開けた窓からはひやりと冷たい空気。
まだ夏は終わっていないのに、この頃の朝はとても涼しい。
蹴飛ばしかけていたシーツに包まって指先まできゅっと縮まった。
部屋の空気が伝導してしまったみたいに、頬に当たるシーツも冷え切っている。
ほんの数時間前までいたはずのぬくもりは綺麗さっぱり消えてしまっていた。

(そういえば朝早くから仕事だって言ってた)

だから早く寝ないと、なんて言いながら、午前三時の記憶。
見上げた時計はお昼前。なのに薄暗いのは地面を叩く雨のせい。
ベランダのガラスには細かい雨粒がまるで糸を紡ぐように絡まっていく。

(・・・いい加減に起きないと)

休日と言っても、さすがにもうお昼だ。まだ眠気が残る身体を引きずってベッドから出た。
カーテンを開け放ったら窓の外は曇天。加えて霧雨が文字通り霧のように激しく視界を遮る。

この天気じゃ洗濯しても乾かないななんて思いながら顔を洗った。
どうせ時間も遅いしのんびりしていようか。寝坊もいいところだと自分でも呆れるけれど、
遅くまで寝かせてもらえなかったせいだと責任転嫁をして大きなあくびを一つ。
こんなところ見られたら一気に幻滅かも、とか。
ついでに思いっきり伸びをして身体のあちこちを伸ばしたら、やっと目が覚めた気がする。

さて朝ごはんはどうしよう。一人なら手抜きメニューでも誰も文句は言わない。
冷蔵庫を前に、中身はどうなっていたかしらと記憶を辿ってみる。

「おはよう」
「ひゃっ!」
「・・・もうちょい色っぽい声で驚けよ」

人を化け物みたいに。文句を言いながら口元は笑ってるに違いない。
振り向いたら想像通り、ニヤニヤと可笑しそうな表情を浮かべて寝室のドアに凭れてるのはここにいないはずの人で。

「お、おは、おはよ・・・」
「おーよく寝てたなぁ」
「な、なんでいんの・・・仕事、行ったんじゃ」
「それがドタキャン。電話かかってきて」

持ち上げて見せる右手に携帯電話。
電話なんて全く、これっぽっちも気付かなかった。
言うと、そりゃお前熟睡してたもん、と呆れ半分の返事。

「起こしてくれれば、良かったのに」
「すっげ気持ちよさそうに寝てたくせに。それに昨夜は遅かったし?」

彼のニヤニヤは止まらない。昨日のことを思い出しているんだろう、エロイやつめ。

「にしても声かけるとか、なんかあるでしょ。・・・心臓止まるかと思った」

だって、いないと思ってたから。気配も何もなく、唐突に低い声が飛んできたから。

「大袈裟だなぁ」

ははは、なんて笑いながら伸びてきた手を払う。

冷たいシーツで一人目覚めてちょっと淋しかったのに。
せめて見送りをしたかったと思っていたのは内緒だ。
言われてみれば仕事部屋のドアが閉まったままだったなーとか、
同じ家にいたのに無駄な時間を過ごしちゃったじゃないか、とか。

「拗ねんな」
「そんなんじゃないわよ」

こっちはまだパジャマで寝起き頭だっていうのに、ちゃんと着替えてシャワーまで浴びてるし
昨夜の名残が見えるようにわざとラフな服を選んで着ているし(絶対わざとだ、間違いない)
深く開いた胸元に擦過傷を見付けてしまって恥ずかしがるってほどでもないけれど
そういう格好を平気でしれっとしてしまうところがこの男のいやなところだ。
他にもいろいろ細かく腹が立つ。そう私は腹を立てているのだ。

「怒るとシワ増えますよ?おねーさん」
「誰のせいよ」
「ほらやっぱ怒ってら」
「違うって言ってるでしょ。雨が鬱陶しいの洗濯しようと思ってたのにこの天気じゃ」
「朝飯作ってあるけど食うだろ」
「・・・聞きなさいよ」
「はいはい食べたら聞きますー」

まずはその空腹を満たしたらどうですか。
宥めるような口調と言い、出てきた朝食があまりに私好みなメニューだったから余計に悔しい。
ああけれど美味しい。自分で作るよりもよほど。

「なぁ何でそんな怒るの?休みになったんだから喜べよ」
「だからさっきから怒ってないって言ってる」
「じゃぁ拗ねてる」
「それも違う」
「じゃぁ・・・」
「黙って食べさせて」
「・・・今日は一日一緒にいれますが」

だから機嫌直せよ。なんて、少し困ったような顔をするのがまた腹立たしい。
私がその顔に逆らえないのを知っていてやっているのを、私は知っている。

言えるわけがない。隣に彼がいなかったことに寂しさを覚えてしまったなんて。
低い声の「おはよう」より早く、雨の音の挨拶を耳にしてしまったことが
少しばかり悔しくて腹が立ってしまったなんて、ただの八つ当たりだから。
ああ本当に腹が立つのだ。どうしてこんなに好きなんだろう。

「美味かった?」
「・・・うん」
「後ろ、跳ねてる」

襟足に伸びてきた手を今度は払わない。
二度三度髪を撫でる優しすぎる動きが嘘じゃないのも知っている。

「雨やまないな。・・・たまには家もいいか」

独り言に似せた呟きは紛れもない誘い。
雨の音を切り裂いて囁きはしっかり私の耳に届いた。
雨音が続く中を、低くて、決して美声ってわけでもないくせに、しっとりと柔らかい響きは私の耳まで。


(本当は、目覚めたら一番に君の声が聞きたかった)


明日は絶対に先に起きてやる。誓って私はその言葉を飲み込んだ。






メルマガVol.187掲載(2008年9月3日発行)
一部実話です。

お題素材配布サイト「Fortune Fate」さま




// written by K_